斉藤由貴の宗教と夫について!子供の学校は?弟と祖父もチェック!

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斉藤由貴さんと言えば初代「スケバン刑事」ですね。ご存知の方は同年代?(笑)

人気アイドルでもありましたね。

夏帆さんとのau・WALLETのCMでも可愛いすぎると評判の

斉藤由貴さんですがそんな斉藤由貴さんの宗教と夫について

子供の学校は?弟と祖父もチェックしたみました。

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宗教と夫について

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斉藤由貴さんは、1994年12月に結婚されています。

夫の小井延安さんとは、友人のモルモン教徒から

米大学留学中の1歳年上の男性を紹介されました。

出会って10日目に斉藤由貴さんのご実家を訪ねられたようです。

小井延安さんは敬虔なモルモン教の幹部なんだそうですが・・・。

宗教と言われるのは沢山あるりますよね。

モルモン教はコーヒーを飲んではいけないとか

聞いた事もあるのですが・・なんで?

正直あまり馴染みがありませんね。

モルモン教ってなんでしょう・・?

宗教学上はキリスト教の新宗教に分類される様ですが

1830年に末日聖徒イエス・キリスト教会は、

アメリカ合衆国にてジョセフ・スミス・ジュニアに

よって創始されたそうです。

モルモン教の信者の方はこう考えておられます。

「わたしたちの身体は神から授かった貴重な賜物です。

身体と精神を健康で強く保つために,1833年に神は

ジョセフ・スミスに健康に関する律法を授けました。

この律法は「知恵の言葉」として知られています(教義と聖約89:1-21)。

適切な食事と肉体的および霊的な健康の大切さを強調したうえで,

神は以下の物質を摂取しないようにと言われています。」

適切な食事と肉体的および霊的な健康の大切さを強調したうえで,

神は以下の物質を摂取しないようにと言われています。

・たばこ・アルコール飲料・コーヒーと・茶違法な薬物。

この時点で私はアウトです。

コーヒー大好きで1日何杯も飲みますから(笑)・・。

モルモン教の方は、適切な食事,肉体と霊の健康の祝福を

強調することに加えて摂取しないそうです。

体を仲立ちとして,苦痛と大きな喜びのいずれをも経験し

健康的な生活は安心感を与えるとの考えをお持ちの様です。

運動,適当な食事と睡眠,明るい態度は皆,幸福に寄与します。

ど毎日自転車に乗り,健全な食習慣を維持しようと努めているそうです。

カフェインは「律法の精神」としての意味合いを強く持っているそうです。

子供の学校は?

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斉藤由貴さんには3人の子供さんがいらっしゃるようです。

子供さん方の名前などについてはこれまで明かされた事は

ありませんでしたが長女、長男、次女と3人の子供さんに恵まれておられます。

99年11月に長女の方を出産されており03年10月に長男。

翌年04年に次女の方を出産されてます。

子供さんは小学校で中国語を習っていたそうで進学された学校は

神戸中華同文学校との噂もあったようですが

学校で中国語を勉強していると言うだけで只の噂であったようですね。

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弟と祖父もチェック

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斉藤由貴さんの弟さんは斉藤隆治さんと言われ歌手であり俳優さんです。

1968年生まれ。現在48歳。

大河ドラマ「春日局」では、徳川忠長訳でした。

TVでもあまり見かけなくなりましたが最近の活躍は分かりません。

斉藤由貴さんの祖父は水島吉男さんとおっしゃり腕の良い帯の仕立て職人でした。

吉男さんは1904(明治37年)生まれ。横浜で育ちます。

2歳の時に高熱により聴力を失い11歳で東京聾唖学校に入学します。

当時の入学資格は10歳以上でした。

吉男さんは学校で部活に明け暮れたそうです。

野球部に入り、ある時はピッチャー。又ある時はキャッチャー。

テニスも得意だった様です。

演劇部でも活躍されていたそうです。

何事にも積極的で明るい性格だったようです。

更に吉男さんは、裁縫の技術を身につけるのです。

手に職をつけ独り立ちするためでした。

学校を出た吉男さんは、帯の裁縫所で働き始めます。

27歳で結婚されます。

お相手は聾唖学校の後輩の君子さん。

夫婦ともに耳が聴こえないため生まれた子供の言葉の習得を考え

長男、長女は縁者に預け育てて貰います。

しかし、言葉はなんとかなると思い次女の淳(あつ)さんからは、

夫婦で育てる事にしたのです。

淳さんは、語られます。

色々な苦労をされた様で、「おしの子だ!」「おしが移るから逃げろ」と

理不尽な事を言われたそうです。

淳さんは、竿を持って追いかけたそうです。

その為「あそこに行くと竿を持って殴るやつがいる」と有名になったそうです。

斉藤由貴さんの叔母にあたる方で吉男さんの4女の清(きよ)さんは、

父親と一緒に横浜駅で運賃の割引手続きをしに行った時の

事が忘れられないそうです。

聾者の方は、耳が聴こえないと身振り手振りで表現されるのですが

駅員の方が置くに向かって「おしが来た」「つんぼが来たどうする」と

と言われたそうで中から「そんなのいいからおっぱらっちまえ」と

言われた事もあつたそうです。

吉男さんはきちんと手続きもして後は判子を押してもらったら切符が

買える状態にも係わらず、目の前でドアを閉められて終わってしまった

経験もされたのです。

清さんが小学校1年生の頃の事でした。

その時吉男さんは清さんの顔を見てニコっと笑い「又来るからいい」

と言われたそうです。

1940年(昭和15年)水島帯裁縫所を設立されました。

帯の需要は決して無くならない。そう信じての決断でした。

しかし戦争が始まるのです。

帯の注文がなくなり吉男さんは横浜の桜木町のガード下で靴磨きの仕事を

するのです。

いつ、どんなときにでも笑顔を絶やさなかった吉男さんでした。

ある時靴を磨いたアメリカ兵に気に入られPXと呼ばれた進駐軍の

購買部で荷物をさばく仕事を紹介されるのです。

1950年(昭和25年)戦後の混乱が収まると帯の裁縫所を再開されます。

吉男さんは聴覚に障害がある人を雇い入れ仕事を増やしていきます。

帯の仕事と日本聾唖連盟の役員理事をされており両方の仕事が

大変忙しかったそうです。

吉男さんは仕事に打ち込む一方で聴覚障害者の為の活動にも関わられて

こられたのです。

1936年(昭和11年)日本聾唖協会、横浜部会発足。

新たな取り組みを始められるのです。

選挙などでは、選挙演説が聞こえなくては誰に投票して良いのか分かりません。

そこで吉男さんは手話通訳の必要性を伝えます。

手話通訳は横浜の立会演説会で現実化したのです。

手話通訳は4女の清さんがされたそうです。

その後清さんはNHK手話ニュースのキャスターになり現在も活躍されています。

吉男さんが裁縫所を始めて19年目の昭和33年。

皇太子の婚約が報じられて間もなく正田家が誂える帯の仕立ての仕事を

頼まれる事になりました。

正田家とは皇太子妃美智子皇后様のご実家です。

当時黒塗りの車が止まっており白い手袋をされた方が玄関に桐の箱を

3つ置かれたそうです。

その後吉男さんは身を清めて仕事に取り組まれたそうです。

「正田美智子皇太子妃殿下。錦袋帯三本」

忘れる事が出来ない水島家の思いでなんだそうです。

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