菊地咲帆(さほ)ちゃんの父親と母親と心臓移植手術について!家族の思い とは?

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2010年臓器移植法が、施行され日本でも子供からの臓器提供が可能になったのですが

その数は伸び悩んでおり特に6歳未満の小児からの提供は6例だけだそうです。

日本での臓器移植は困難なのが現在の日本。

4年前、広島県廿日市に住むご夫婦が「娘の命を助けてください」と悲痛な声をあげました。

娘の菊地咲帆ちゃん(当時2歳)は、50万人に1人の割合で発症すると言う

「拘束型心筋症」と言う重い心臓を患ったのです。

アメリカで心臓移植手術を受けるしか助かる道はない。

と医師から告げられたのでした。

移植手術に必要な費用は・・・1億4400万円。

「なんとしても我が子を救いたい」と両親は必死の思いで募金活動を

始め待ち行く人々に強力を呼びかけたのです。

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父親と母親と心臓移植について

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父親の菊池一弘さん。母親の由利子さんは、結婚10年目に待望の第1子として

咲帆ちゃんが誕生しました。

2428グラムの小さな女の子でしたが、母親の骨盤と咲帆ちゃんの頭の大きさが

合わず難産が予想される事から帝王切開の出産になったのです。

産後は、母子ともに健康で心臓も含め特に異常はありませんでした。

1才児検診や、それまでの月次検診も心臓を含め特に異常なしで、

咲帆ちゃんはすくすくと育ったそうです。

2歳児検診で近くの小児科を受診した際、心臓の異常による肝臓肥大が発見され

土谷総合病院で、心不全の対処療法のため緊急入院し闘病生活が始まりました。

各種、精密検査により、心臓移植でしか助からない「拘束型心筋症」と

断定されるのです。

では、拘束型心筋症とはどんな病気でしょうか?

★拘束型心筋症とは、心室の拡張や肥大を伴わず、見た目の心臓の動きも

正常であるにも関わらず、心臓が硬くて広がりにくいため心不全としての

症状をきたす病気です。

このような病態は、様々な病気に伴い発生するそう(二次性拘束型心筋症)

と言うそうなのですが、一般に「拘束型心筋症」と言う場合は、

原因がわからずこの疾患を発症した場合のことを指すそうです。

何の異常もないまま出産され元気に育っていた咲帆ちゃん。

まだまだ小さい時期だったのですが、泣く事すら出来る状態では

なかったのではでしょうか?

「拘束型心筋症」と言う病気は、50万人に1人と非常に少ないと考えられています。

この病気の患者さんを多くいるのは、アフリカ、インド、中南米、一部のアジアの

国々だそうです。

この病気の原因も現在では、分かっておらず二次性の場合でも発病する

メカニズムは多くの場合不明だそうです。難病の一つと考えられます。

乳幼児期発症の場合は、心臓が大きくなれないために、身体の成長に

心臓の大きさがついていくことができず、症状が急速に進行することが

知られています。

2歳未満発症の場合は特に予後不良であり、だいたい発症後3年以内に

亡くなると言われています。

有効な治療法が無いため、救命のためには心臓移植を行うしかありません。

また、当時の咲帆ちゃんは延命のための補助人工心臓も付けることも

できませんでした。

2010年7月に臓器移植法が改訂され、本人の拒否の意思が無く、

家族が同意した場合、15歳未満からの臓器提供が可能となりました。

法律上は小児への心臓移植の道が開けた形になった訳なんですが

しかし実際には、現時点で10歳未満のドナーからの心臓移植は

1例しか行われておらず、心臓移植しか助かる手段の無い拘束型心筋症の

乳幼児の場合は家族に非常に厳しい決断を迫られる事になります。

★心臓移植とは?

死亡した方(脳死)から心臓の提供を受け、これを植え込み、新しい心臓を

維持して心不全から脱却し、延命を計ることを目標とする治療法です。

臓器提供者(ドナー)とそのご家族の尊い意思があってはじめて成り立つ

医療行為を言います。

2歳未満発症の「拘束型心筋症」の場合、進行が早く、肝不全や、腎不全に

至れば移植する事ができなくなります。

又、例え今後もドナーが現れたとしても、すでに待機している

拡張型心筋症などの補助人工心臓の付いた子が優先されるため、

現時点では、国内での心臓移植の可能性はほとんど皆無に等しい

状況なんだそうです。

2歳未満発症の「拘束型心筋症」の場合は、発症した時点で海外での

心臓移植を考慮すべき、と言われています。

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家族の思い

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菊地さんご夫婦は、20年来の親友の方の所に現在の咲帆ちゃんの状態を話に訪ねて

行かれたそうです。

噛みしめるような口調で、発症から現在に至るまで説明されとそうです。

事の重大さを理解したご友人の方は、とてもショックを受けられました。

20年来の親友である菊地夫妻と咲帆ちゃんちゃんを助けるために、

ご友人の方は、自分に出来る事は何かを考え、救う会の代表を

引き受けられたのでした。

咲帆ちゃんは、2歳の誕生日の5日前に緊急入院します。

ご両親は、最悪の可能性を説明されているだけでまさか実際に、

しかも数ヶ月レベルの短期間でそれを実現する必要があるとは全く

考えていおられませんでした。

それまでは体は少し小さいながらも健康優良児として育っていた咲帆ちゃん。

親としては、「誤診であってくれ」あるいは「我が娘だけは奇跡的に治る

はず」。と勝手な希望を抱いていたそうです。

咲帆ちゃんのご両親だけでなく私自身も親です。

皆さん同じ思いではないでしょうか。

数日経ち様々な検査結果より、「特発性拘束型心筋症」との診断が確定に

向かい同時に、心筋症の中でも拡張型や肥大型と違い拘束型だけは

薬物治療や最先端の再生医療含めた手術方法が全くなく心臓移植だけが

唯一の救命策である事がわかったそうです。

心臓移植手術そのものの、リスクもあり移植後は、一生、免疫抑制剤を

飲み続けるために風邪やインフルエンザなど感染症対策のために

不自由な生活を余儀なくされます。

何よりも脳死になったお子さんの尊い心臓をいただく治療である事に対して

どう対処すべきか?ご夫婦で悩み続けたそうです。

それまで脳死や臓器移植について身近な問題として考えた事はなく、

ドナーとなられた方やご家族や移植を受けられた方の体験談などを

読まれたそうです。

不幸にして、脳死になった後も別の人の体の一部となって生き続ける事に

ドナーとしての幸せ、もちろん移植を受けた方にとっては命のリレーの

バトンを受け取った喜び、移植医療は双方の家族にとって大変価値ある

医療であると理解されました。

日本ではまだまだ一般的な治療と認識されていません。

ご両親は、「もちろん娘自身で移植の決断できる年齢ではありません。

とはいえ、2歳になったばかりの幼な児が全身汗だくで辛い処置に

必死で耐え、毎日涙をこらえて健気に苦い薬を飲む姿をみるにつけ、

生きたいという強い意志をひしひしと感じました。」

と語られています。

やはり、手遅れになる前に心臓移植で咲帆ちゃんを治療することが

親の使命であるとの思いに至ったそうです。

ところが、日本で、2010年7月に改定臓器移植法が施行され、

法的には可能になった後も咲帆ちゃんの様な幼児の移植例はなく、

日本でドナーを待つだけでは咲帆ちゃんの未来を取り戻せるかどうか

判らないと宣告されたのです。

ご両親は、日本では難しいと漠然とは考えていたそうなんですが、

1000分の1でも可能性があるならそれに賭ける価値はあると思って

いただけに、ご夫婦で落ち込んでしまったそうです。

ご両親はこう語られています。

「娘の命を救う唯一の方法は、とても家族では賄いきれない費用を

世間の皆さまの善意に頼る募金で集め、海外渡航による移植しかない

事が解りました。

しかしながら、点滴を続けてるとはいえ娘の容態は安定してきており、

機嫌の良い時は病院の廊下を走り回る状態なので、いつ準備を始めるべ

きなのか判断できない状態でした。」と。

広島ではほとんど症例が無い難病のため、土谷総合病院の主治医より

全国の心筋症専門医の方々に問い合わせいただき、県外の医師の方々にも

咲帆ちゃんを診察していただいたそうです。

その結果、「拘束型心筋症」は、体の成長に合わせた心臓の成長が

見込めないため2歳未満で発症した場合は5歳まで生きるのが難しく、

他の臓器が元気なうちの遅くとも3歳になる前に移植する事を目標と

するとの結論に至たのです。

3月初めに緊急入院してから約1ヶ月後のご両親の決断です。

それ以後、家族ぐるみでお付き合いをされていたたご友人に相談を

始められたのです。

2011年9月1日アメリカ・ミシガン大学で心臓移植手術をされました。

同9月18日ミシガン大学を退院されます。

これから半年~1年は、ミシガン大学での経過観察が必要となります。

後にご両親はこう語られています。

「アメリカ・ミシガン大学にて心臓移植手術を受ける事が出来ました。

ドナーとなると尊いご決断を下されたご両親様に敬意を表すとともに、

さほの胸に舞い降りてきたくれた小さな可愛い天使へ感謝の気持ちで

いっぱいです。

今日のこの日の誓いと皆様から頂いた温かいお気持ちを忘れることなく、

娘と娘の胸の中のお友達を大切に守り、未来へ向かって育みたいと

思います」。

その後ミシガン大学の医療チームの許可が下り次第、帰国の予定となり

2013年4月6日 療養先のミシガン大学病院から帰国の許可が下り日本へ

帰国されました。

2016年4月で小学校1年生になられた咲帆ちゃんです。

ここまで良くがんばったね。ピカピカのランドセル良かったね\(^o^)/

ランドセルの色は何色でしょうか?(笑)・・。

最後にご両親の言葉を伝えたいと思います。

「今回たくさんの医師の方々のご尽力により、幸いにもミシガン大学病院より

咲帆受け入れの内諾を得る事ができました。

合わせてたくさんの皆さんの温かいお志で救う会を立ち上げていただき、

募金活動を始めていただける事になりました。

本来なら子どもの治療費は両親が支払うのが当然ですが、

あまりに高額なためこのような形で世間の皆さまにお願いする事になった

事をご理解ください。

地元広島の皆さま、全国の皆さま、渡航先の米国の皆さまには、日本の

移植医療の現状をご理解いただくとともに、娘の命を救うためとはいえ

究極の親ばかともいえる無理なお願いをさせていただきます事を

どうかお許しいただき、温かいご支援いただきますようお願いいたします。」

咲帆ちゃんの様な難病と言われる病気がたくさんあります。

そんな病気が1日も早く無くなる日が来るのを望むのですが

特効薬が出来る日も必ずきてほしいですね。

それまでに私自身何が出来るのか?少しでも人の役に立つ事はあるのか?

咲帆ちゃんの闘病記を読みながら考えさせられ、新たに自分を見直す

事が出来たのではないかと思います。

と同時に改めて命の重さ。大切さ。を考える事が出来ました。

これから素晴らしい人生が待っている咲帆ちゃんです。

楽しい事沢山経験して下さいね。

陰ながら応援しています\(^o^)/

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