加藤庸子(脳神経外科)のプロフィール!結婚は?出身大学と経歴も気になります!

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こんにちは。今回の台風18号は、風台風でした。

熊本では大きな被害はなかった事と思います。

今年は4月に震災があったので、地盤の事などを考えるとその後の台風なんかは怖いですね。

私が住む地区では、台風が来るたび市役所から自主避難場所が設けらるのですが、

そこの避難所は熊本地震の時に一部損壊しているんですよ~。

今は修繕されていると思うのですが・・。

それはそれでやっぱり怖いですね。(笑)

何はともあれ大した事がなくて良かったです。

現在、日本にスーパードクターと言われる医師が何名いらっしゃるのかご存知ですか?

100人程おられるそうなんですよ。

代表的な方で言うと「神の手・ゴッドハンド」を持つ医師。

福島孝徳医師。専門は脳神経外科。

TV等で何度か見た事もありますが、顕微鏡を覗きながら難しい手術を最短で熟されて

いきますよね。

もう鮮やか!!としか言葉がないですよ。

脳腫瘍に対する「鍵穴手術」の考案者で有名ですね。

その他にも「心臓血管外科医の名医」・渡邊剛医師。心臓血管外科医

「大腸がん内視鏡の名医」・斉藤豊医師。大腸がん内視鏡科医などおられますが

今回ご紹介するのは、女性医師。

「脳クリッピング術」の名医であられる脳神経外科。

加藤庸子医師。のご紹介です。

加藤庸子医師の結婚出身大学経歴などを交えながらご紹介します。

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加藤庸子のプロフィール

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加藤庸子医師は、1978年3月愛知医科大学医学部を卒業されます。

「クリッピング術」の名医として知られていますが女性脳外科医としては異例の手術数

1300例以上を誇るスーパードクターなんです。

加藤先生のもとには、多くの患者さんが全国から集まってこられます。

現在も週3回以上の手術を熟されているそうなんです。

凄いですね。

手術時間はどの位かかるのでしょうね?

加藤先生は、米国でもその技能を認められ、2006年に脳神経外科において

日本で最初に女性の教授になられました。

2006年、脳神経外科において日本で最初に女性の教授となり、

2012年9月には「日本脳神経外科学会」の初の女性理事に選出したのです。

アメリカ ・セントルイス大学医学部で、自ら行った手術を英語で解説する

講演も行われています。

女性脳外科医では世界一と言われる、加藤医師ですが、手術数1300例以上を

誇る権威であられその技を見たいと世界中から医師が駆けつけ、講演の要望は

世界各国から寄せられているそうなんです。

医学生に見せるのは分かりますが世界の医師が来るなんて相当凄いと思いま

せんか?

凄すぎるからスーパードクターなんですが・・(笑)

日本の誇りですよね。

また、加藤医師は、自分の経験を教訓に、女性医師が結婚や出産後も仕事を続

けられる環境をと、38歳の時に日本脳神経外科女医会を発足もされたのです。

アメリカで脳外科の女医会が結成されて、日本から代表として一人訪問され

たそうなんです。

当時20名ほどだった女性専門医の先生方の意見を、集約してアメリカに届け

たのでした。

結局そのとき意見を出してくださった先生方が、今の女医会の土台となった

なったそうです。

現在は、脳外科の女性専門医も500名ほどいらっしゃるそうです。

6割はこの会に入っておられるそうで活動としては、みんなで集まって、ざ

っくばらんに経験談をシェアする会を、年に2回ほど行っているそうなんです。

片肘をついてでも、寝転がってでもいいから、気軽に本音を話せるような場

を目指しておられるそうです。

恵まれた環境で仕事ができる女性医師の方は幸せですよね!

患者さんも加藤先生に手術して頂くまでが大変そうなんですが・・

予約待ちも、かなりの時間ではないでしょうか?

なんせ、スーパードクターですから。

2014年10月に、藤田保健衛生大学、坂文種報德會病院。脳神経外科に勤務地

を移動されるのですが、・脳血管障害特に・未破裂動脈瘤、・生まれつ

きの脳動静脈奇形、・脳梗塞、・脳の検診なども含めた脳血管障害を

中心とした部門設立を目的として新講座及び脳血管ストロークセンターを設立

します。

加藤医師の専門は、脳の血管が破裂しその出血が脳を圧迫するくも膜下出血

を未然に防ぐ「クリッピング術」なんですが、

脳のなかの血管(動脈)に瘤状の血だまりができるのが動脈瘤で

これが破裂すると、くも膜下出血を起こし30%以上が死に至るそうです。

脳ドックや、CTなどの検査で見つかった、くも膜下出血の原因となる脳動脈瘤

と言う、血管にできるコブをクリップと呼ばる特殊なチタン製の器具で根元

から挟み、コブの中に血液が入らないように治療する未破裂脳動脈瘤の開頭

クリップ手術を加藤先生がもっとも得意とするのです。

累積症例数としては、「未破裂脳動脈瘤の開頭クリップ手術」

手術数1300例以上だそうです。

脳卒中で、毎年13万人も命を落とすそうなんです。

コブが破裂しないよう確実に処置を施す。

脳外科の手術は、極度の緊張状態の中で長時間にわたることが多く

しかもミスは許されません。

加藤先生は、「脳動脈瘤の手術はスピードがすべてではありません。

ここは速く、ここは大事だからゆっくりと丁寧にと状況に応じて判断が必要

となります。」

「多くの術例を経験しているからわかるんです。

経験を積むうちに、どんな状況でも対応していけば、必ず道は開けることを

知りました。」と語られています。

医師になってキャリアがまだ浅いころ「女医さんの主治医や執刀医は心配」

と幾度となく言われた事もあったようです。

加藤医師は、女医であるメリット活かし、患者や家族の方が気軽に話しかけ

られるような環境作りで、心の窓を開こうと努力されました。

その結果、年を重ねるにつれ強い信頼関係が結べるようになり、それが自信

に繋がったと話されます。

では、脳卒中とは、どんな状態になるのでしょうか?

脳卒中は脳血管の疾病の総称。

怒りが頂点に達したときなどに「脳の血管が切れそう」と表現したりするの

ですが、本当に切れてしまうのが・出血性脳卒中。

これに対し、なんらかの原因で脳の血管が詰ってしまう疾病を、

・虚血性脳卒中と言うそうです。

脳卒中はこの2種類に大別され、出血性脳卒中には、・くも膜下出血、

・脳出血。

虚血性脳卒中には、脳梗塞、一過性脳虚血発作などがあるのですが、その

原因として、頸部頚動脈狭窄が注目されています。

症状は、急に倒れて意識がなくなったり、半身の麻痺が起きたり、ロレツが

回らなくなったりするそうなんです。。

前ぶれとして、・一時的な半身の麻痺や手足の痺れ、・ものが二重に見える

・話したいのに言葉が出ないといった軽い発作が起きていることもあのです。

前ぶれの段階で早目に専門病院で受診することが大切だそうです。

日頃から気をつけないといけませんね。

結婚について

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加藤先生は現在、独身ですが、28歳になったら結婚したいと思っていたそうなんです。

実際には思う通りには行かず、特に女性医師は、ちょうど自分が医師として伸びる時期と、

結婚して子どもを産むタイミングが重なりがちでその位の年頃って、学位や専門医資格を

取ったり、留学をしたりする時期でもあるそうで、徐々に患者さんも定着してきて仕事が

ますます楽しくなってか?機を失ったそうですよ。

出身大学は?

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では、加藤庸子医師の出身大学のご紹介です。

後程経歴をご紹介しますが、ここでも少し交えてのご紹介です。

★1978年3月:愛知医科大学医学部 卒業されています。

★1981年3月:足利赤十字病院脳神経外科

★1981年9月:中華人民共和国。

蘇州医学院付属第一病院脳神経外科 留学

★1982年8月 トヨタ記念病院脳神経外科

★1984年4月 藤田学園保健衛生大学脳神経外科 助手

★1986年4月 オーストリア、グラーツ大学 留学

★1991年4月 藤田保健衛生大学脳神経外科 講師

★2000年4月 藤田保健衛生大学脳神経外科 助教授

★2006年4月 藤田保健衛生大学脳神経外科 教授

★2008年4月 藤田保健衛生大学病院 救命救急センター 副センター長兼任

★2010年4月 藤田保健衛生大学病院 救命救急センター センター長

2014年10月 藤田保健衛生大学坂文種報德會病院脳神経外科に勤務地移動

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経歴

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加藤先生の経歴についてですが少し楽しいです。

職名:教授

専攻・専門分野:脳神経外科学

主な担当科:・くも膜下出血、・脳動脈瘤。

先生が脳外科を選ばれた経緯は、教授に声をかけられたのがきっかけだったそうなんです。

加藤先生は、学生の頃、休みがあるたびにいろんな医局に出入りして婦人科や泌尿器科の

医局にも顔を出していたそうなんです。

ある日脳外科の教授が、「君いいね、入らないか?」と加藤先生に声をかけたのがキッカケ

になりその場で入局を決めたそうです。

加藤先生のお父さんは外科医だったそうで興味はあったそうなんです。

入局してからは、他の研修医と手術の担当を奪いあうようにしながら、貪欲に技術を磨いて

きたそうです。

加藤先生は、仕事が楽しかったらしく腕を上げたかったそうで結婚より仕事を選び、

現在世界が認める脳神経外科医になられました。

世界脳神経外科連盟(WFNS)の教育長として、発展途上国の若者達を数多く訪れ物資、

教育支援も行っていらっしゃいます。

今後は「女性医師がしっかり働ける環境も作りまた、海外の途上国の若手脳外科医の

教育支援を行っていきたい」と語られています。

加藤医師は、いろいろな患者さんと出会いを大切にされています。

片麻痺や言語障害、脳腫瘍で耳の聞こえない人など、多くのハンディーを背負った方も

いらっしゃいます。

力強く生きている姿もたくさん見ました。

仕事ができることの幸せや、医師になった根源は何だったのか?

など、さまざまな事を患者さんから教わりました。

と話しておられました。

現在、勤務している坂文種報德會病院でも「医学生・若手研修医 先輩とのTalk会」

と題して、先輩医師と研修医、医学生の交流の機会を設けています。

講演会だと、だいぶ上の人の話を聴く場合が多くなってしまうじゃないですか!

そうではなくて、自分よりもちょっと上の年代の先輩と、気軽にやりとりできるような

環境を作っておられるそうなんですよ。

また、同院で治療した脳卒中の患者とその家族が会員である「Fujita脳神経外科友の会

(1981年創立)」がスタートして32年目、実は、加藤医師の医師史とほぼ同時期の

歩みを持つ会で、日本で最も古い患者会です。

会員数は1500名程。加藤医師はこの会に医者の立場で参加し、退院後のさまざまな悩み、

食事・リハビリ・仕事の事などに創立初期からずーと携わっておられます。

「診療からだけでは学ぶことが出来ない貴重な体験の積み重ねでした」この会でも患者から

教えてもらったことがたくさんあると話されています。

所属学会・認定・資格

日本脳神経外科学会 評議員、日本脳卒中学会 評議員、日本脳卒中の外科学会代議員

日本脳神経外科救急学会 新常任理事、日本脳ドック学会 評議員

アメリカコングレス脳神経外科学会 会員、アメリカ脳神経外科学会 会員

日本脳死・脳蘇生学会 理事、日本脳腫瘍の外科学会 評議員、日本脳ドック学会

理事(2012年より)、社団法人日本臓器移植ネットワーク臓器提供施設委員 会委員

日本脳神経外科学会 理事(2013年9月より)、日本性差医学

医療学会 理事(2013年2月より)、2011年9月 日本意識障害学会 理事長

Asian Congress of Neurological Surgeons (ACNS)会長

世界脳神経外科連盟 書記官補(Assistant Secretary)、日本脳神経外科女医

会(WNA)創立(1990年)、アジア脳神経外科女医会(AWNA)創立(1996年)

第3回アジア脳神経外科学会 会長(1999年)、第4回アジア脳神経外科女医会

会長(2000年)、Mainz大学客員教授(ドイツ)、George Washington大学客員教

授(アメリカ)、Sri Ramachandra Medical Collee & research Institute大学

客員教授(インド)。

教授として大学にいらっしゃると、外科系を志す女子学生から相談を受ける

事も有るそうなんですが、そんな時先生は、とにかく自分が好きなことをやりなさいと

言うそうなんです。

そしてもうひとつ、もし難しい環境にぶち当たることがあったら、思い切っ

て環境を変えてみること。

海外留学でも国内留学でも、少し違う社会を見てみることを勧めておられる

そうなんです。

加藤先生は、卒業後4年目に中国に、33歳でオーストラリアに留学したのでされています。

そのときの経験は人生に影響を与えていると話しておられます。

・女性でも働きやすい外科系に。

日本では、一人の主治医が最初から最後まで手術を担当するけれど、ヨーロッパでは、

主治医が複数いて、術中に心臓マッサージをしてい担当するけれど

ヨーロッパでは、主治医が複数いて、術中に心臓マッサージをしていても、

17時になったら別の先生がやってきて交代するのが当たり前という国もあるそうなんです。

日本ではそういうことを認めない空気もあるけれど、そう言う大らかさがある社会に

なっていけば、もっと働きやすくなるのではないかと考えておられます。

他にも、曜日交代で外来を担当するようにする事もできると思うし、子供の面倒を見て

くれるボランティアさんを、町内で募る事もできるのではないか。

ともおっしゃっています。

今後、そういった柔軟な支援策を取り入れていくのが重要なのではないかと

考えているようです。

よく、学生さんたちは随分先のことを心配している印象を受けますけど、あ

まり先のことを考えても仕方ないんじゃないかなと先生は、思っているそうで

先生自身もそうだったようで、歳をとるにつれて周りの環境も、自分の気持

ちも変わっていくものです。

数年の間にも、思ってもみないことが起こるかもしれないし、思いがけない

チャンスが巡ってくるかもしれない。そういうチャンスが来たら迷わず挑戦

して欲しいと話されています。

きっちり将来を設計しても、その通りにいかないのが人生です。

だから、その時自分が置かれた環境で、好きだと思える仕事を一所懸命やる

しかないんじゃないかと私は思います。

もし誰かがその姿を見ていてくれれば、自ずと道が開けてくるはずですよ。

なるほど・・・。納得ですね。

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