淡島千景の昔の若い頃と晩年について!結婚せず独身を貫いた原因や理由とは?

こんにちはチャチャです!

ずいぶんと春らしくなってきましたがこの2、3日は風が強く

肌寒い日が続きました。

まだまだ風邪をひきやすい季節。

服装なども難しい時期ですね。

花粉症などもつらい季節で尚更気をつけたいですね!

ところで淡島千景さんをご存知でしょうか?

もと宝塚出身で、娘役スターとして活躍したようですよ!

今回はそんな淡島千景さんの若い頃や晩年について。

また、なぜ独身を貫いたのでしょうか?

そんな事を含めながら記載したいと思います。

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淡島千景の昔の若い頃

淡島千景さんの若い頃が気になりますね。

若い頃もかなりお綺麗な女優さんのお一人だったようです。

まずは、淡島千景さんの学歴からさかのぼりましょう。

池上尋常小学校から武蔵野第一小学校に転校します。

中学は成蹊高等女学校(成蹊中学校)を卒業。

そして成蹊高等女学校を卒業した後、1939年にはに宝塚音楽舞踊学校に入学。

1941年に宝塚歌劇団に入団。

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という華々しいご経歴の持ち主です。

学歴だけを見るとお嬢様!といったところでしょうか。

宝塚音楽舞踊学校と言うだけで「厳しい躾」とイメージしてしまいます。

久慈あさみさんと南悠子さんそして、淡島千景さんは『東京の三羽烏』

と呼ばれていた過去があるそうですよ。

ちなみに久慈あさみさんの本名は、森山 淑子さん。

1922年5月2日生まれ。74歳でお亡くなりになれています。

愛称はヨッタンと呼ばれていたそうです。

南悠子さんは、1923年10月1日生まれ。

89歳でお亡くなりになられています。

愛称はユーコさんと呼ばれていたそうです。

さて、気になる淡島さん自身の芸名の由来ですが、百人一首の

「淡路島~千鳥の鳴く」から『淡路千鳥』と最初は、名付けられたそうです。

しかし、同じ芸名の団員がいたことからも『淡島千景』

と言うネーミングにしたんだそうです。

何となくですが、独創的と言うかカッコいいですよね?

なかなか今の時代こういう名前の付け方はいないのでは、無いでしょうか?

確かに宝塚だから!と言えばそれまでなんでしょうけど!

横文字に慣れている筆者としては、こういう和風の名前も新鮮ですね!

宝塚退団後は、1950年に映画『てんやわんや』で女優デビューします。

その後は、数々の映画やドラマにご出演されていました。

晩年について

淡島千景さんの晩年について記載しましょう。

実は淡島千景さんが亡くなる前に大きな借金をしていた事をご存知でしょうか?

そしてその借金の額は、約6千万円とも言われています。

淡島千景さんともあろうお方がそんな大金を借金って不思議に思いませんか?

実はお金の管理は年上のマネージャーに全て任せてしまっていたそうですよ。

そのマネージャーが熱海にホテルの事業をしたのですが、それが失敗。

多額の損失をだしたままお亡くなりになられてしまっています。

そしてそのお金の管理は淡島千景さんの息子さんにゆだねられました。

本人は全く気がつかなかったのですが、その借金に気付いたのがお亡くなりに

なる2年前だそうです。

借金について何とかしようと思い相談をもちかけたのが、石井ふく子プロデューサー

だったそうです。

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石井ふく子プロデューサーといったら「渡る世間は鬼ばかり」でも有名ですよね?

結局、事なきを得て、淡島千景さんは自宅を売らなくて済んだそうです。

一歩間違えていた自宅を売る事にもなったそうで、何とも恐ろしい話ですよね!

淡島千景さんにとっては好きな仕事が一番で、お金は二の次だったのかも知れませんね。

だからお金にはある意味無頓着だったのかも知れません。

さて、淡島千景さんがお亡くなりになったのが享年87歳でした。

お亡くなりになる前も「渡る世間は鬼ばかり」へも出演していて、彼女の最期の作品と

なる訳なんですが、当時、膵臓がんが見つかったものの、病院から撮影現場に向かって

いたそうです。

最後までプロ意識の高い淡島千景さんの最期ということで、生き様がすごいです。

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結婚せず独身を貫いた原因や理由とは?

淡島千景さんは生涯独身を貫きました。

あれだけの美貌の持ち主ですから周りの男性も放っておかなかったでしょう。

独身を貫いた原因や理由はずばり、映画や演劇に全てを捧げたからではないでしょうか?

実際にこの当時は、結婚が女の幸せだった時代でもあるにも関わらず、

独身を貫いたという事はかなり、淡島千景さんにとっても勇気がいる事だったのかも知れません。

しかし、それでも独身を貫いたのは、映画や演劇が恋人だったのかも知れませんね。

プロフィール

では、プロフィールを紹介します。

淡島千景さんは、1924年(大正13年)2月24日生まれました。

身長や体重については不明です。

出身地は、東京府出身です(東京都ではなく東京府です)

実家はラシャ(毛織物)の店だそうです。

セルビアの首都ラサでも生産されていたことからもこういうネーミングが付けられている

そうですよ。

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話は戻しまして・・・

本名は、中川慶子(なかがわけいこ)さんと言うんだそうです。

愛称は「おけいちゃん」「けいちゃん」と親しまれていました。

弟に中川雄策さんがいてアニメーターをやられています。

自宅については詳細は解っていませんが、都内有数の高級住宅街だそうです。

2012年(平成24年)2月16日にお亡くなりになられています。

2014年には、「宝塚歌劇の殿堂」に入ったそうですよ。

宝塚としても淡島千景さんの存在は大きかったのでしょうね!

今回は、淡島千景さんをご紹介しました。

さて淡島千景さんの借金をしていたなんておどろきました。

淡島千景さんといったら華やかなイメージがあるだけにこういった

負の部分ってインパクトが大きいですよね。

現在は既に他界されていますが、人々の心の中には生き続けていく事でしょう。

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