藤本敏夫の加藤登紀子との結婚と子供について!娘が気になる!

2018年9月5日

今回は加藤登紀子さんの夫である藤本敏夫さんについてリサーチしたいと思います。

さて、寒くなってくると映画などを見たくなりますね。

映画と言ったら、ジブリ映画で育ってきた筆者としては、

ジブリ映画はどの作品も好きなのですが、その中でも個人的には、

天空の城ラピュタ、千と千尋の神隠し、紅の豚などが好きですね。

特に紅の豚は声優として(時には歌ったりして)加藤登紀子さん

も出てきていて、本当に名作だなと思いました。

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藤本敏夫と加藤登紀子との出会い

藤本敏夫さんは当時左翼団体の委員長を務めていたそうです。

そして、加藤登紀子さんにコンサートの依頼をしたことがきっかけとなり、

2人は交際をスタートしたらしいです。

もともとは加藤登紀子さんの歌などが、政治の為に利用されるのが

嫌だったようですが、男女の間の感情は二人を分断する事が

出来なかったようですね!

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結婚と子供

藤本敏夫さんと加藤登紀子さんは1972年に獄中結婚したそうです。

加藤登紀子さんってもっと華やかな印象があったのですが、

過去に獄中結婚していたなんてかなり驚きでしたね。

そして、長女は藤本敏夫さんが刑務所にいる間に生まれていて、

次女は藤本敏夫さんが刑務所から出所した翌年にうまれています。

恐らく加藤登紀子さんは、夫が刑務所に入れられてから妊娠に

気付いたのでしょうが、夫がこんな状況の中で、子供産むのか、

更に子供の将来の為を考えると結婚するかも相当悩んだでしょうね!

娘が気になる!

藤本敏夫さんには三人の娘がいます。

長女が美亜子さんで、次女が八恵さん だそうです。

長女の美亜子さんは1972年12月7日

次女の八恵さんは1975年12月14日 だそうです。

長女と次女は誕生日も近く同じ12月生まれてというのも

中々偶然性を感じますね!

長女はできちゃった婚(さずかり婚)だと思われます。

1980年には三女が生まれているようですが、情報があまり

出ていなく謎につつまれています。

もしかしたら触れられたくない部分もあるのかも知れませんね。

次女の八恵さんはお母さんの加藤登紀子と一緒で歌手をしていて、

その名前がYaeさんです。

すこし娘のYaeさんについてお話したいと思います。

Yaeさんはあの加藤登紀子さんのDNAを引き継いだシンガーソングライターです。

歌詞付きの「別れの曲」なども話題になりました。

現在は、「鴨川自然王国」の活動に参加するなど、半農半歌手として

活動されているそうです。

そして、Yaeさんは2005年に結婚されたそうですよ。

相手は、大豆畑の研修生だったようで名前は、ミツヨさんというらしいです。

現在は子供までいるそうです。

加藤登紀子さんのDNAも着々と引き継がれているのでしょね!

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出身大学と高校

藤本敏夫さんは、兵庫県立鳴尾高等学校を卒業しています。

偏差値は56 – 58なので、まあまあ頭の良い学校ですね。

大学は、将来新聞記者や政治へのあこがれが強かったのでしょうか?

同志社大学文学部新聞学科を入学しますが、中退してしまったそうです。

有名大学まで入学して中退はかなりもったいない気がしますね。

学生運動に関わらなければ中退する事も無かったでしょうから

かなり勿体ない話だと思います。

プロフィール

藤本敏夫さんは加藤登紀子さんと結婚したわけですが、

まず妻である加藤登紀子さんのプロフィールを記載したいと思います。

加藤登紀子さんは、東京大学を卒業しているみたいですよ!

天才だったのですね!

高校も都立駒場高校なので、相当頭が良かったかと思われます。

彼女は、1943年12月27日にハルビンで生まれたそうですよ。

現在74歳となりますので、時代が経つのも早いですね!

しかし、年齢を感じさせないパワフルさは、感心させられます。

またミュージシャンとして、次々とヒット作も連発しています。

知床旅情や百万本のバラも有名ですね。

特に百万本のバラは他のアーティストにもカバーされる程名曲で、

カラオケの定番でもありますね!

そしてジブリファンにはたまらないあの紅の豚で、ジーナ役をやっていました。

豚もかっこよかったですが、それを引き立てたのがジーナで、

ジーナの歌も本当にお洒落でかっこよかったですね。

存在感でいくと主役を食っていたくらいでしたから!

また加藤登紀子の出した難破船はのちに中森明菜さんが

カバーで歌うのでしたが、中森明菜さんに楽曲提供した

曲かと思っていましたが実際はカバーとして歌っている訳で驚きでした。

中森明菜さんがまるで自分の歌であるかのように歌いこなし

流石プロだなと思いました。

また、今までの中森明菜さんの世界観を変えた位の名曲でした。

さてそんな加藤登紀子さんと結婚した藤本敏夫さんはいったい

どんな人物だったのでしょうか?

プロフィール

今度は、藤本敏夫さんについてプロフィールを記載したいと思います。

藤本敏夫さんは、兵庫県西宮市甲子園生まれだそうです。

生年月日は、1944年1月23日 生まれで、当時藤本敏夫さんは

同志社大学の学生で学生運動をしていたそうで、

その後いくつかの運動を起こす訳ですが最終的には、

刑務所に入れられてしまうのです。

しかし、その時に加藤登紀子さんと獄中結婚したそうですよ!

その後出所したあとは家族と過ごし幸せな日々を過ごす訳ですが、

食と農をテーマにした活動を始め、鴨川市に鴨川自然王国を

1981年に設立しました。

当時は鴨川に妻と娘を呼ぶ計画もあったのですが、

子供達の生活の事もあり娘と妻は東京、夫は鴨川というように、

離れ離れに暮らすのですが、より一層絆は強くなったのでは

ないでしょうか?

今現在

しかし、そんな幸せの中、突然不幸が訪れてしまします。

肝臓ガンの為、2002年に58歳で藤本敏夫さんが短い生涯を終えています。

藤本敏夫さんはもっと家族と一緒にいたかったでしょうし、

鴨川自然王国で色々とやりたいこともあったでしょうね。

今は、娘のYaeさんも加藤登紀子さんもライブを行っているようですし、

天国の藤本敏夫さんも温かく見守っているそうですね。

若かりし頃の藤本敏夫さんは学生活動がきっかけで大変な思いをされ、

晩年は闘病生活に苦しむといった状況になりましたが、

理解のある妻と娘に囲まれたようでもしかしたら幸せな

人生だったかも知れませんね。

今回は、藤本敏夫さんについてお話をしました。

藤本敏夫さんの分まで加藤登紀子さんは頑張ってほしいと思います。

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