中田久美監督の評判は?結婚と夫が気になる!若い頃もリサーチ!

こんにちは!グラチャンバレー始まってますね。

中田ジャパンが熱い(*^^)v

世界2位のアメリカとの対戦ですが、今やママとなった荒木絵里香選手も頑張りましたよね。

それに加え、今回良く耳にするのが「チャレン成功!!」なんて言う言葉なんです。

チャレンジってなあに・・・(・・?

と思いつつ・・・

よくよく試合を見つつ・・

で、なるほど・・(p_-)です。

簡単に言うとビデオシステムの事のようです。

バレーボールのチャレンジシステムは、2012年のロンドン五輪の後試験的に導入された

そうです。

正式に導入されたのは、世界バレー2014年の事ですね。

この頃は、監督から指で審判へチャレンジ・サインを出すと言うスタイル。

しかし、昨年からチャレンジ・サインが大きく変わったようで

これまでの指でのサインではなく、ベンチに据え置きしている

タブレットで対象になるプレーが、行われた5秒以内に要求が出来る

ことになったようです。

今回のアメリカ戦でも幾度か目にすることがありました。

これまでにも悔しく納得できずで終わった試合も多々あったはず・・(T_T)

もっと早く導入しても良かったのでは?

・・・なんて思ってしまうのは私だけでしょうか?

そんな訳で今回は中田久美監督のご紹介です。

現役時代も素晴らしい選手でしたね。

天才セッターと言われ、オリンピックにも3度出場の経験を持つ中田久美監督。

今回は中田久美監督の評判や結婚と夫などを調べてみました。

【スポンサー リンク】

中田久美監督の評判は?

中田久美監督は、勝ちにこだわり続け2020年年に伝説に残るチームを作り上げたいと

大きな目標を掲げたそうです。

それは・スピード・正確性・連携・けた外れの集中力・世界に負けない強さ。

と言う伝説のチームなんだとか!!

コーチは元トルコ代表監督のフェルハト・アクバシュさん。

全日本女子の練習方法はこれまでとはかなり違い、先ず練習は1日7時間から8時間

も行っているそうで、練習方法はコーチが英語で指示を出しそれを理解しつつ

次の動きを判断して、ボールを落とさないよう上げ続ける練習になっているようで

これを2時間ぶっ通しで行いそうです・・・鬼やん(TдT)

女性指導者の方が厳しいのかも?

世界ランク6位の日本ですがアメリカに逆転負けし、メダル確定にはならなかった

ものの監督の評判は、まずまずと言った所ではないでしょうか?

中田久美監督は女子最多4度の最高殊勲選手賞受賞者でもあります。

頑張れ!!日本・・\(^o^)/

結婚と夫が気になる!

1度は選手を引退してから1993年に結婚した中田監督。

夫になった方のお名前は、林隆夫さんと言われる方で職業などはわかりませんが

国学院久我山高校の野球部時代に、第51回選抜高等学校野球大会に出場された方です。

子供はいらっしゃいません。

隆夫さんの父親である亮勝さんは、日本の歴史学者で日朝文化交流協会理事長でもありました。

1999年金嬉老の身元引受人にもなられた人物でもあります。

東京の真言宗豊山派の寺院のお生まれだそうです。

【スポンサー リンク】

若い頃もリサーチ!

では中田久美監督の若い頃をご紹介します。

監督は中学校入学後からバレーボールを始めたそうで2年生の時バレーチームLAエンジェルスに2期生として入団します。

高校は通信制の、NHK学園高校に通い卒業。

通信制の高校を選択したのは、バレーボールに専念する為だったようです。

1980年、史上最年少の中学3年生で全日本代表に選出され日中対抗にセンタープレーヤー

として出場します。

この時、監督から素質を買われてセッターに転向となります。

1981年、日立に進みスタメンを獲得。

日本リーグでは史上初の失セット0での全勝優勝に大きく貢献し、

中田久美監督は新人賞を獲得するのです。

天才セッターですね。

杉山明美(元バレーボール選手)の結婚が気になる!夫と子供は?今現在も解説!

1984年のロス五輪で銅メダルを獲得し、1986年世界選手権で主将を務めます。

しかし同年11月、練習中に右膝前十字じん帯を断裂と言う大怪我を負うのです。

一時は再起不能ともいわれた大ケガでしたがプロ根性と言うべく懸命なリハビリを行い

この怪我から10ヶ月後、試合復帰を果たしたのです。

実は、不運はこれだけではなかったのですね・・・。

1988年2月、再び右膝を手術となってしまったのでした。

しかし、右膝は完治せず試合の時は痛み止めを手放せなくなってしまいます。

そのまま同年のソウル・オリンピックに出場。

1992年バルセロナオリンピックに出場。

この時には日本女子バレー史上初、3度目の五輪出場を果たしたのです。

バルセロナ五輪を最後に、同年11月に一度は現役を引退され

1995年、現役復帰とします。

翌1996年、アシスタントコーチに就任。

1997年、日立を退社。

その後、バレーボール教室や後進の指導や全国各地での講演、

バレーボール解説者スポーツキャスターやタレントなどをし活躍されます。

2008年になり、イタリア・プロリーグ・セリエA・ヴィチェンツァのコーチに就任。

2009年、セリエA・ノヴァーラのアシスタントコーチに就任。

日本人女子として初めて海外バレーボールチームの指導者となった訳です。

2011年9月、久光製薬スプリングスのコーチに就任され、翌年監督に就任されます。

中田久美監督はこれまで、春高バレーの応援企画「コーチングキャラバン」での

指導で選手を一喝する場面が多く「恐怖」のイメージだそうで解説者の時に

試合内容に憤ったあまりに、中継席にあったボールペンをへし折った事でも有名。

「鬼の中田」

2004年6月、全日本女子がアテネ。

オリンピック出場権を獲得した直後選手と共に中田監督もフジテレビの「すぽると!」

の生放送での「てめえら、この野郎!!」の一括は現在でも伝説の様に語られています(笑)

では中田久美監督のプロフィールのご紹介です。

プロフィールを紹介!

・中田久美(なかだ・くみ)

・1965年9月3日生まれ(52歳)

・東京都出身

天才セッターとして15歳で全日本初選出。

・1981年、日立入社。

・1984年、ロサンゼルス五輪銅メダル獲得。

・1988年、ソウル五輪4位

・1992年、バルセロナ五輪5位

現役、引退後はイタリア・セリエAのコーチなどを経て

2012年に久光製薬監督に就任

4年間でVプレミアリーグ3度優勝。

2017年5月から、日本では女性として34年ぶり2人目となる全日本女子代表監督に就任

14歳でバレーを始め、15歳1カ月の史上最年少で全日本女子代表選出

アタッカーからセッターに転向し、1年目にして日本リーグ史上初の

失セット0での全勝優勝に大きく貢献し、天才少女や天才セッターの異名をとる。

日本女子バレー史上初めて3度の五輪出場を果たす。

【スポンサー リンク】

 

関連コンテンツ