山田かまちの父親と母親は?本名や高校も気になる!

こんにちは!・・7月も後、2日で終りですね。

8月になると花火やお祭りも至る所で始まります。

小さな女の子の浴衣姿なんて可愛いらしいですね。

今年はどんな浴衣が流行っているのか・・?なんて思いながら

お祭りに行くのも楽しいのではないでしょうか(笑)

さて今回ご紹介させて頂く方は今から40年前、17歳と言う若さでこの世を去った

山田かまちさんです。

「美の巨人たち」で紹介されるようです。

山田かまちさんが残された水彩画は、鮮烈な色彩表現が最大の特徴と言われています。

山田かまちさんの代表作「プリーズ・ミスター・ポストマン」や「青い自画像」。

膨大な数の絵と言葉を残し、今現在でも多くの人達から愛されています。

今回は、今でも人気高い山田かまちさんの父親や母親。

高校などにも触れながらのご紹介です!

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山田かまちの父親と母親は?

山田かまちさんの父親と母親についてです。

父親の名前や職業など詳しくは分かりませんでしたが、母親の名前は

千鶴子さんと言う事がわかりました。

山田かまちと検索してみると何故か、氷室京介さんも一緒に出てきます。

そんな訳で少し調べて見た所、山田かまちさんと氷室京介さんは

幼稚園から中学校までの幼馴染だったそうです。

幼稚園の頃、氷室さんはヤンチャでよく恐竜ごっこをして遊んでいたそうです。

山田さんの家に遊びに来ると氷室京介さんは「かまち~」と大声で叫んでいたそうです。

山田かまちさんと氷室京介さんが音楽に興味を持ち始めたのは、中学の終わり頃でした。

BOOWYのメンバーになる松井(常松)さんなどと良く練習をしていたそうです。

山田かまちさんがお亡くなりになった日氷室京介さんはBOOWYの前身バンドの合宿で

志賀高原にいたそうです。

山田かまちさんの訃報を朝知らされた氷室さんは直ぐに高崎に戻り

山田さんの実家を訪れお仏壇の前に座り込んだそうです。

氷室京介さんは山田さんの母親に「おばちゃん、かまちはハードロックでした」

と言い俯いたままだったそうです。

山田かまちさんがお亡くなりになった後、1982年3月に氷室京介さんはBOOWYの

ボーカルとしてファーストアルバム「MORAL」・・モラルを発売します。

10曲目の「MORAL」は、山田かまちさんを元に歌詞が作られたと言われて

いるようです。

本名や高校も気になる!

本名についてです。

画家や小説家の方などは本名を使われている方は、少ない気もするのですが

山田かまちさんは本名で「かまち」と言お名前も珍しいと思います。

そこで名前の由来にも注目してみました。

由来についてですが山田さんのご両親が、終戦直後に読んだ歴史小説の

主人公の名前だそうです。

その歴史小説は、和島誠一著「日本歴史物語」と言う物で、その主人公の

名前から名付けたそうです。

小説の内容は、鹿麻知(かまち)と言う少年が、石器時代を舞台に活躍する。

と言う、話だそうで両親は終戦直後であったので、この少年のように新しい

時代を強く生きるように。

と、いう願いをこめて「かまち」と名付けたようです。

この小説の「かまち」は鹿麻知(かまち)と漢字なんですが、山田さんはひらがなで

ひらがな表記の理由は、かまちさん自身が自由に漢字をあてられるように。

と言う、思いからひらがなに決めたそうです。

次に山田かまちさんの高校についてです。

山田かまちさんは、群馬県の出身なんですが、当時は高崎高校や前橋高校と言う

難関県立高校と言われる高校に入学するため中学浪人をする人が居たのも珍しく

ない時代だったようで、山田かまちさんもその1人でした。

山田かまちさんは16歳の時1年間浪人し、前橋市の英数学館に通うのです。

そのかいあって1977年、群馬県立高崎高等学校に無事入学します。

高校では山田さんの友人数人と学園祭で映画を作成し出演します。

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亡くなった原因も解説!

山田かまちさんは今から40年前、17歳と言う若さで不幸な事から

この世を去りました。

亡くなった原因についてはいくつかあり、改造アンプで演奏中の感電と言う

説と、エレキギターを自室で演奏中に自身の汗が原因だとも言われ

改造したギターのコードが身体に触れたのが原因で、感電したという説もある

ようです。

亡くなった原因はどちらも感電事故です。

高校1年生の8月当時、山田さんが17歳の時自宅でエレキギターの練習の最中に

事故に合われます。

昼食に呼びかけたのですが返事がなく、お母さんが部屋を見に行くと倒れている

山田かまちさんを発見したそうです。

この時山田さんは上半身裸のまま倒れていたそうです。

この時、使用していたエレキ・ギターは山田さん17歳の誕生日父親からプレゼント

された物でした。

1981年、4回忌と1989年の13回忌には展示会が開かれたそうです。

小さい展示会だったそうですが、この展示会は知人らに向けられたものでした。

13回忌の展覧会で山田かまちさんの作品に衝撃を受けた広瀬毅朗画廊により

1992年に、高崎市片岡町に「山田かまち水彩デッサン美術館」が設立さます。

その後、同年12月には「悩みはイバラのようにふりそそぐ 山田かまち詩画集」が

発売され、山田かまちさんの名前が全国に知れ渡ります。

その後、TVでも取りあげられ1992年にはスーパータイム、1993年には

午後は○○おもいッきりテレビ、1997年には3時間感動スペシャル帰らざる

スターの栄光と挫折!最後の瞬間!!など数々の番組で紹介されています。

山田かまち・・・

1960年7月、群馬県高崎市で生まれる。

1歳半から絵を描く事に熱中し小学校時代毎日何枚も怪獣の絵を書き

教室の黒板には専用スペースが出来たそうです。

山田かまちさん3年生の冬休みには1時間で52枚の動物の絵を描き上げます。

その絵を目にした当時の担任が一緒に美術館巡りをし、山田さんの持つ豊かな

色彩感覚に磨きをかけるのです。

中学生になった山田かまちさんは、ビートルズを始めとした海外のロック音楽に

夢中になりその影響を受けた多くの絵を描き又詩文なども書き綴ったそうです。

山田かまちさんの部屋には1000点の水彩画やデッサン、詩文が書かれたノートが

残されたそうです。

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