野田あすかの母親と父親は?宮崎の出身高校と大学も解説!

こんにちは毎日暑いですね!

35度を超える猛暑続きの熊本です。

今回ご紹介させて頂く方は、天才ピアニスト野田あすかさんです。

中居正広の金曜日のスマイルたちへにご出演されるようです。

野田あすかさんが弾くピアノの音色は優しく伸びやかな音色で何度もTVなどで

感動を与えてきています。

幾度も繰り返される試練を乗り越えてきたあすかさんだからこそ奏でる事が出来る

音色・・・。

人の心の力になりたい・・・と話すあすかさん。

1982年広島県生まれ、現在34歳の野田あすかさんですが、22歳になるまで障害が

ある事が分からなかったといいます。

2004年24歳の時留学先のウィーンの病院で自閉症スペクトラム障害

と診断されたのです。

生まれつき、他人の顔を識別するのが困難で、表情や仕草から感情を読み取る

ことが出来ない・・・などといった症状があったそうです。

しかし、あすかさんが生まれた時代は今と違い世間でも障害といちずける事が少なく、

あすかさんの家族も発達障害とは思ってもいなかったそうです。

中学生になったあすかさんは、自分が分からなくなる解離性障害を発症し

自傷行為を繰り返す様になります。

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野田あすかの母親と父親は?


野田あすかさんの母親と父親は、あすかさんが人の目を見て話さないのは

視力がよくないせいだと思っていたそうです。

1つの事に集中するのも、あすかさんの長所だ理解されていたそうで

障害があるとは夢にも思わなかったといいます。

あすかさんの場合、広汎性発達障害が放置されていた為に、解離性障害を引き起こした

とみられています。

あすかさんは4歳にお頃からピアノを習い始め当時、アスカさんのピアノの指導は

母親が行っていたようです。

和音を聞かせて「何の音?」と尋ねて間違うと叱られ、あすかさんは泣きながら

鍵盤に向かっていたそうです。

母親は恭子さんと言われ父親は福徳さんと言われます。

お母さんは、あすかさんの障害は自分の厳しい躾や、親の愛情不足ではないのか?

と自身を責め続けたそうでまた、周囲から責められて母親失格と追い詰められ

地獄の様な日々を送った事もあったそうです。

父親の福徳さんは、あすかさんが二次障害による解離性障害の発作を起こし、

近所を徘徊するなどの症状が出た際には、お互いの手を縛って就寝した夜も

あったといいます。

2004年ウィーン国立大学での5日間の短期留学ツアーに参加したあすかさんですが

現地で過呼吸発作を起こしてしまいます。

入院先での診断は「広汎性発達障害」(現在の用語では「自閉症スペクトラム障害」)

帰国後、改めてその障害が確定されるのです。

医師から発達障害は生まれながらの脳の機能障害ですと告げられた両親は途方に暮ます。

母親の恭子さんは、自分の何処がダメで障害のある子どもを産んだのか?

と自分を責め続けあすかさんのお見舞いにも行けなくなった事なども

あったそうです。

両親は障害のことを世間に隠し続けるか?公表するか?

苦しい日々を幾度も過ごしたと言います。

あすかさんの就職や結婚のことを考え、障害を公表しない方が良いと言う

考えもあったそうですが、夫婦で連日深夜まで話し合った結果

親亡き後の事を考えて、公表することがベストだという結論に至ったと父親の

福徳さんは話しています。

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宮崎の出身高校と大学も解説!


広島県生まれのあすかさんは、父親の転勤の為宮崎市に移り住みます。

小学校の頃は、校庭の草むしりを頼まれチャイムが鳴っても気が付かず辞めずに

叱られた事などもあったようですが、あすかさん自身は言われた事をやっている

のに怒られる理由がわからなかったのです。

ルールを知らない自分が悪いと自身を責めるのです。

給食の時間でも教師から三角食べを言われ忠実に行うあすかさんは、ひと口ずつ

食べては箸を置き、またた食べ始めるを繰り返し食べるのが遅すぎると注意される

と言った事も多々あったそうです。

この頃は既に、ピアニストを夢見ていたあすかさんですが、中学2年生の頃から

自傷が始まるのです。

高校1年の頃イジメにあい、不登校になります。

転校して元気になったそうです。

出身高校の学校名などはわかりませんが、地元の高校を卒業されたようですね。

ピアノ教師になりたかったあすかさんは、2000年宮崎大学に現役合格しますが、

あすかさんですが大学入学し間もない頃、人間関係からのストレスからパニック障害

になり過呼吸の発作を起こすようになってしまいます。

自宅2階から飛び降り右足を骨折。

頻繁に倒れるため、精神科を受診し診断されたのが解離性障害でした。

宮崎大学は2年で退学となり、ピアノが弾きたいと言い出したあすかさんは

その後、宮崎女子短期大学音楽科に長期履修生として受け入れられ、ここで

恩師である田中幸子先生と出会う事になったのです。

田中幸子先生はあすかさんの全てを受け入れてくれたそうです。

これまで、あすかさんは自分を否定したり、諦めたりする事しか考えられなかった

そうですが、田中先生は「あなたは、あなたの音のままでとてもすてきよ」と。

自分は自分のままでいい・・・・と気づいたあすかさんはピアノの音色が変わり

自分の音が好きになったといいます。

2009年には、カナダで開催された第2回国際障害者ピアノフェスティバルで

銀メダル、オリジナル作品賞と芸術賞のトリプル受賞をした野田あすかさん。

その後、注目されイベントなどにも多く出演するようになります。

TV宮崎は野田あすかさんのドキュメンタリー番組を制作し24時間テレビにも

2年連続で出演されます。

あすかさん29歳の頃には、ソロ公演に挑戦され宮崎市の清武文化会館

半九ホールは500人を超す人々で埋まり大成功を収めるのです。

2017年4月30日大阪市中央区「いずみホール」で初リサイタルが行われました。

野田あすかさんのご両親は回り道をしながらも、ここまできた娘を誇りに思う。

と話しています。

野田あすかさん自身、私達の想像以上に苦労してこられた事と思います。

精一杯生きてこられた事と思います。

ご家族や両親の支えも素晴らしいですよね!!

これからも陰ながら応援させて頂きます\(^o^)/

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