内海桂子の夫と息子は?相方の好江と未婚時代に生まれた娘も気になる!

2017年8月9日

こんにちは!ずいぶんと春らしくなってきましたね。

少し気が早いのですが、今年のお花見はどこにしょうかしら?

なんて少し考えています。

お昼お天気のいい時に、友だちと娘、両親とゆっくり出来たらいいな~

なんて。

去年はなぜか?忙しく、その上熊本地震でそれどころではなかったので

今年はね~なんて・・・。

今回ご紹介させて頂く方は、現役最高齢の芸人記録を更新している

内海桂子さんです現在94歳。

16歳の時から舞台に立たれ大変な時代を生き抜いてこられた内海桂子さん。

今年2017年1月に桂子師匠は路上で転倒して大腿骨を骨折、手術をされたんです。

現在94歳・・一般には寝たきりになってしまうのですが、夫の成田常也さんの

懸命な看病があったようです。

そんな事や結婚や相方であった内海好江さんのお話など交えご紹介です。

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夫と息子は?

内海桂子さんの夫は24歳年下の成田常也さんと言われ、内海桂子さんの

元マネージャーをしていた方です。

1月に桂子師匠が骨折をした時、道路に四つん這いになり、しばらく動け

なかったそうで、桂子師匠は「痛い、痛い」と訴えていたそうです。

夫の成田さんは救急車を呼ぼうとしたのですが桂子師匠はそれを制止します。

その理由は・・・近所迷惑と言う事。

その為成田さんは、桂子さんを抱き自宅まで帰ったそうなんです。

その後、成田さんが聖路加病院に連れて行く事になったそうです。

桂子師匠の退院後、夫の成田さんは佳子師匠に、負担をかけないようにと

一軒家からマンションに住み替え、手すりを付けたり、とリフォームされ

全てバリアフリーにもしたそうです。

今現在では、桂子師匠の食事やお風呂、着替といった日常生活を支えている

ようです。

桂子師匠は幸せですね。

桂子師匠の夫である成田常也さんは、新潟生まれで小学校の頃からラジオで聴

く漫才や漫談、落語が好きな少年でした。

林家三平さんや、内海桂子好江が大好きだったそうなんです。

昔からファンのお1人だったんですね・・・・。

成田さんが、桂子師匠と初めて出会ったのはアメリカの会社員時代でした。

当時、成田さんは40歳で未婚でした。

その頃、桂子師匠は64歳です。

成田さんは元々日本航空系の会社勤務のエリート。

「日航寄席」という演芸会が年に何度かアメリカ各地で開催され成田さんは

日本から芸人を呼ぶ仕事を任されていたそうです。

成田さんが昔から憧れていた内海桂子好江コンビは、いつか呼んで生で芸を

見てみたい芸人だったそうです。

その後、成田さんは帰国し桂子さんの家を訪ねるのです。

内海桂子さんと結婚に至った理由は、1988年成田常也さんからの猛アタックが

きっかけだったそうなんです。

成田さんの手紙攻勢が始まり1年間で300通もの手紙が届く様になったのです。

最後の1通に成田さんはプロポーズの言葉をしたためます。

内容は・・「アメリカで一緒に暮らさないか」とと言うものでした。

しかし桂子師匠の答えは・・NO!・・(・・;)

それを聞いた成田さんは、諦めるどころか「ならば私が東京に行きましょう!」

と長年勤めたアメリカの優良企業のポストを捨て桂子師匠と結婚されたと言う事

なんですね。

年の差婚として話題になりましたが。

結婚後の1990年、東京の下町に40平方メートルほどの土地を買い4階建ての新居

を建てます。

2012年頃には内海桂子さんは、月に1度は浅草の舞台に立って漫才されていたん

ですね、その頃いつも、成田常也さんが荷物を持ってあげて、腕を組んで歩いて

いたそうです・・。

ほんと仲のいいご夫婦で内海桂子さんはお幸せですね。

その頃から、料理や掃除と言う家事も夫の成田常也さんがやってくれていたそう

なんですが・・・。

お互いの呼び名は「ぱぱ」と「先生」と呼び合っていたようで

勿論・・師匠である内海桂子さんが「先生」なんですが・・。

と、思いきや「骨拾い」とも呼ぶ事もあるらしく、内海桂子さんは自分が亡く

なったら夫が親族と遺産相続でもめるんじゃないかと心配しているそうです。

自宅近くのマンションの一室をご主人の名義で購入してあるんだそうで

値段は2000万円位したそうです。

成田常也さんの名義で購入したマンションについて内海桂子さんは

「これで自分が死んでも、亭主は住む場所には困らないだろう」と近所の人や

関係者に伝えているそうなんですよ。

好江さんの夫についてです。

内海好江さんの夫は、造園業を営む男性と結婚してていましたが、2人の間には

子供は居なかったそうです

1995年に内海好江さんのご主人はお亡くなりになられています。

好江師匠の情報は少ないですね。

では、内海桂子師匠の面白い恋愛話があるのご紹介します。

時代と仕事で「惚れたはれたの色恋」は無縁のようだったんですが

桂子師匠の年頃時は戦時中。

好きになったお相手は兵隊さんだったそうです。

その方は同じ町内の駄菓子屋の息子さんでした。

いつも一緒に遊んでくれてた幼馴染みで、戦争から帰ってきた時に海桂子師匠

の家に来たそうです。

聞けばすでに、その方は結婚されていたそうで

「女房は郷里に帰ってるから、手紙ならくれても

いいよとか、洒落臭いこといってくるから一気に冷めたわよ。」と(笑)。

「うるせえーやい! 天下の内海桂子が手紙だすなんて、冗談じゃないよ」

って啖呵切って追い返してやった・・・(笑)とありました。

海桂子師匠らしいといえば・・らしいのですが・・。

息子についてです。

1941年 高砂家と志松さんとのあいだに長男をもうけます。

町内に漫才師の一家がおり、時々旅回りの一座を組んで巡業で稼いたそいうで

桂子師匠の母親は三味線をひいて桂子師匠は唄や踊りができ、14か15歳の頃

その巡業にくっついて、ひと稼ぎさせてもらう事にしたそうです。

しかし、漫才師のおかみさんが、お腹が大きくなって舞台に上がれなくなり

相方がいないと漫才できず「あの子なら漫才やれるよ」って事になりその方と

コンビを組んだのが初舞台にったのですが、その頃は旅に出ると部屋も一緒に

されていたそうで、その方との子供が出来たそうなんです。

それが息子さんですが名前などはわかりません。

今では考えられないのですが・・・

その頃のコンビは桂子師匠曰く、「いっぺんの息が合ったら舞台以外のことは

目をつぶって多少のことには鼻をつまんで」・・・(笑)

離れない者だったそうです。

巡業中は自分のだけでなく、相方の洗濯物もしてあげたり生活が、四六時中

一緒になり、わがまま言って離れたら芸が変わる。

好きとか嫌いの問題じゃないと言った時代だったそうです。

1945年、林家染団治一門の林家染芳(後の林正二郎)とコンビを組み

未婚のまま長女を妊娠するのでしすが、他の女の人を家に入れてタンスの

中味をまるごと質に入れたり博打やヒロポン中毒にもなってそれでコンビ

別れしてたそうです。

1988年成田常也さんと結婚に至りますが、息子さんは成田常也さんより5歳

年上なんだとか!

息子さんと絶縁されたそうなんですが理由については、後々遺産相続でもめない

様にしているそうなんです。

相方の好江と未婚時代

内海桂子さん好江さんは姉妹と思っていたんですが実際は赤の他人だそうですね。

当時は、かしまし娘などの女漫才をしてる方が多く居たので私も内海桂子さん好江

さんは姉妹だと思っていたんですね。

1950年当時、14歳であった好江さんを弟子に取りコンビ結成します。

好江さんは現在お亡くなりになっています。

好江さんの両親は夫婦揃って芸人だったそうです。

好江さんの両親は、内海桂子さんの2番目の相方と同門でその娘さんが桂子さん

だったのです。

内海桂子さん好江さふたり合わせても5年しか学校に行ってないそうです。

その頃に芸人には学歴は必要なかったそうです。

ところが好江さんは、自分の親と漫才をやりたくなく桂子さんに何とか一人前

にしてやってくれないかと好江さんの親が頼みにきたそうで、内海桂子さんは

面倒みてやろうと思い、その代わり「わたしのいうこと聞いてやってくれなきゃ

やだよって。」コンビが始まったそうです。

しかし、好江さんは14歳も年下で色恋の話をしても全然わからず、色気の話もダメ

踊りも、三味線もダメしゃべりもできなかったそうです。

内海桂子さんは好江さんに最初から厳しくたそうなんです。

今の時代とは違い、芸は肥やしで厳しい時代・・それはそれは大変な時代だったと

想像するんですが。

芸の世界で生きていくためには、人ができないような難しいことをやらなきゃだめだ

と必死で教育し好江さんにしたら、そんな桂子師匠にについてくるのは大変だったと

感じていたそうです。

漫才コンクールや芸術祭の賞を総ナメにしていたのですが昭和33年のコンクールで

絶対取れると期待されていた賞を取れなかったのです。

それで好江師匠は自殺を図ったと言う出来事がありました。

そのコンクールは出場3回目で桂子師匠は、今回は取れるだろうと思っていたそう

ですが「獅子てんや・わんや」さんに取られてしまい2位と言う結果になってしまいます。

「お前が悪いんだ」と好江さんに言ったら、睡眠薬飲をのんだそうなんです。

死なれたら好江さんの親に申し訳が立たないと・・・桂子師匠。

後の話で好江さんは「あの時睡眠薬を飲みすぎただけ」だと話したそうなんですが。

好江師匠とはコンビ別れの危機は1度あったそうです。

学校も行ってないのに漫才師として勲章までもらえ、家も建てて暮らせているのも

全部、好江さんがいたからできた事だそうで好江さんがいなかったら今の自分はない

と内海桂子師匠は言われています。

内海桂子・好江と48年間一緒にすごしたそうですが、好江さんは、内海桂子師匠の

一生の宝なんだそうです。

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娘も気になる!


1945年に娘さんを授かりますが、その後の娘さんの情報については何も

ありませんでした。

娘さんの名前も息子さん同様分かりません。

TV出演された時などに何かの情報があれば又お伝えしたいと思います。

今では娘さんもいいお年になられているんですが・・。

内海桂子師匠は、現在94歳なんですがビックリする事にTwitterを頻繁に更新され

ていて現在フォロワーは約15万人だそうです。

その内容が面白いと話題になっています。

ネタになっているのが面白い四文字熟語なんですね・・・。

ロケット団の漫才で四字熟語のネタがあって「永遠に生き続けることを表す四字熟語は?」

「答えは・・・不老不死」・・・「残念・・内海桂子です」などです。

3月14日の三宝柑みかんやかなりのミッフィーが家にあり名前を今まで知らなかった・・

などなど・・拝見していてとても面白く毎日読ませて頂いています。

いつまでもお元気でいて下さいね\(^o^)/

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