松田優作の妻と息子と娘の今現在は?父母と孤独な生い立ちも解説!

こんにちは。札幌雪祭りが始まりましたね!

2017年注目の大雪像は「白いスター・ウォーズ」でダース・ベイダーの継承者カイロ・レン。

・C-3PO・BB-8・R2-D2などが作られて居るようです。

2017年の12月に新作「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」が公開予定となっている

そうなんです。

又楽しみではあるのですが・・・。

この大雪像の高さはなんと18メートルも有るようで・・すごい迫力がありますよね。

1度は行ってみたいなんて毎年思います。

さて、今回ご紹介の方は今でもカリスマ的存在の有る松田優作さんです。

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妻について!

松田優作さんの妻は、松田美由紀さんと言うのは誰もが知っていると思いますが

熊谷真実さんと言うお姉さんがいらっしゃいますね。

美人3姉妹と言われています。

姉の熊谷真実さんは、1980年に劇作家の(つかこうへい)さんと結婚されますが

1982年に離婚。

2012年11月13日、18歳年下の書道家・中沢希水さんと再婚します。

松田優作さんは2度の結婚をされていたんです。

TVに出演する前には、劇団で活躍して居たようで、1度目の結婚は1975年9月21日。

当時、松田優作さんと同じ「新・演劇人クラブ・マールイ」と言う劇団で知り合った

松田美智子さんと言われる方です。

松田優作さんと美智子さんはその後、同棲生活そされ美智子さんは「堀真弓」として

女優活動されます。

TBSテレビポーラテレビ小説「ひまわりの道」などで女優として出演しその後、

松田優作さんと正式に結婚されたのでした。

結婚されてからは家庭に入り松田優作さんを支えて行きます。

1976年、長女が生まれるのですが、1981年12月24日に離婚されました。

離婚の原因は1979年、松田優作さんのドラマ「探偵物語」で松田優作さんと

現在の妻、松田美由紀さんが出会って「激しい恋」に落ちたそうなんです。

この2人の「激しい恋」と言うのは、前妻であった松田美智子さんのインタビュー

記事で本人が話されています。

松田美智子さんは現在、作家としてご活躍されています。

しかし当時、松田美由紀さんは18才の未成年だったそうです。

1983年、松田優作さんは美由紀さんと再婚します。

松田美由紀さんが2度めの妻になりますが当時、美由紀さんにも夫がいたそうで

その頃は、松田優作さんと美由紀さんはお互い既婚者だったのです。

美由紀さんも松田優作さんとの出会いがきっかけで、前夫と離婚された様ですが

その頃はかなりのバッシングがありましたね!

松田優作さんは現在も、伝説的存在ですが当時はかなりファンも多く人気絶長でした。

「太陽にほえろ!」ではジーパン刑事でかっこよかったですよね!!

石原裕次郎さんもいましたね。

松田優作さんは「現在は、松田優作という通称名を使っているので番組の関係者にも

知られていませんが、もし僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが失望

すると思います」。

と「太陽にほえろ!」の出演を機に法務省に帰化申請を行い日本国籍を取得されています。

松田優作さんと言えば、あの有名な「ブラック・レイン」。

マイケル・ダグラス、高倉健さん松田優作さんですね。

この映画で松田優作さんはハリウッドデビューされたのです。

息子は?

松田優作さんには4人の子供がいます。

2人の息子さんから説明します。

長男の方は松田龍平さん、次男の方は松田翔太さん美由紀さんとの子供さんです。

松田龍平さんは1983年5月9日、東京杉並で生まれます。

小学校にサッカーを始め中学生でイタリア・セリエAのジュニアチームで

ゴールキーパーとして参加されています。

セリエAでの活躍は短期間の様でした。

父親の松田優作さんと同じ俳優の道に進むきっかけとなったのは

大島渚監督が「御法度」の主役を探していて当時中学3年生だった松田龍平さんに

目が止まり出演を直接要請されたのです。

しかし、「自分に出来るわけがない」と言う想いと、高校受験を理由に

一度は断ったのですが「受験が終わった後なら出来るか?」と聞かれ断る理由が

無くなってしまい自分で考えた末、俳優の道に進んだようです。

1999年大島渚監督の映画「御法度」でデビューされ同作、日本アカデミー賞、

キネマ旬報、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞をはじめ、

その年度の新人賞を総嘗めにするのです。

やはり松田優作さんの血を引き継いでいますね。

松田龍平さんが6歳の頃、優作さんがお亡くなりになられました。

父親の記憶は微かに残っているそうです。

父親の話していたことは全て覚えているそうで、かなり厳しい父親だったそうです。

幼少期から「松田優作の息子」と言う事で特別な環境のようでした。

「松田優作の息子」と言う事を隠したかったそうですが「芸能一家」と言う事は

意識したことが無かったそうです。

2009年にモデルの太田莉菜さん(父親が日本人、母親がロシア人のハーフ)と結婚され

現在1人娘の父親でもあります。

次男の松田翔太さんですが、KDDI「au三太郎シリーズ」の桃太郎・・桃ちゃんです。

1985年9月10日生まれ(31歳)。181センチ、A型。

俳優デビュー作は2005年のドラマ「ヤンキー母校に帰る?旅立ちの時 不良少年の夢」

なんですが、やっぱり松田翔太さんと言えばドラマ「花より男子」の

西門総二郎役ですよね!あのクールな瞳・・・。

2007年のドラマ「LIAR GAME」で連続ドラマで初主演になるのですが

熊本では「LIAR GAME」は遅い時間・・23時に放送していた記憶があります。

現在も俳優さんとして活躍中です。

娘の今現在は?

松田優作さんには娘さんも2人いらっしゃいます。

長女の方の名前などは分かりませんが長女は前妻、松田美智子さんとの間に生まれた子供さんで、松田優作さんがお亡くなりになったのが長女が中学に進学した年の事だったそうです。

当時、長女の方は、両親の離婚の経緯をTVや雑誌で知り複雑な感情を抱いたようです。

松田美智子さんは父親である松田優作さんの事を嫌いになってほしくなくて

こう言ったそうです。

「あなたのことをものすごく愛してくれた、養育費も払ってくれた」

などと話したりしたそうですが

「そんな事は当たり前でしょう!!」と反発したいたそうです。

「松田優作の娘」と言う事を知られたくない気持ちが強かったそうなんです。

その後、芸能界とは関係のない道を歩んで行かれ今現在は、結婚し子供さんにも

恵まれ生活されているそうです。

次女、松田優作さんの娘。

Yuki(ユウキ)さんと言われエレクトロニックユニット・「Young Juvenile Youth」

のボーカルをされています。

Yukiさんは高校時代の3年間カナダに留学をしていて音楽を始めたのは、

カナダに留学している頃からだそうです。

その後、アメリカに渡り2年間音楽や芸術を学んだそうです。

年齢は非公開ですね~。

「Young Juvenile Youth」の所属事務所は、母親・・美由紀さんが取締役を務めている

オフィス作。

兄の龍平さん・翔太さんと同じ事務所だそうです。

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父母は?

松田優作さんは山口県下関市で非嫡出子として生まれます。

父親の名字は大村といい、日本人で母親は在日韓国人です。

父親は長崎県の出身で39歳と言う若さで保護司をされていました。

故郷である長崎には妻子がいたようです。

母親の金子さんは、下関市で駄菓子などを売る商店をしており金子さんも当時は

夫が居たそうです。

金子さんの夫は戦死されたそうなんですが・・・。

金子さんが松田優作さんを、宿した事を知り大村さんは長崎に逃げ帰ったそうです。

そんな理由から松田優作さんは母親の女手一つで育つ事になったそうです。

孤独な生い立ちについて!

松田優作さんは、1949年に下関で生まれ母親の金子さんは朝鮮半島からやってきた

在日韓国人一世で、松田優作さんは母親が36歳の時に不倫した相手との間にできた

子供でした。

松田優作さんの父親は優作さんが生まれる前に姿を消し母親は駄菓子や雑誌を売る

お店を営んで居たようですが、それだけで家族を養っていくことは難しく店の二階を

娼婦に貸し出し売る上げの一部を受け取って家計の足しにしていたそうです。

(上記と重なります)

自分が、金優作という名をもつ韓国籍の在日韓国人と言う事はかたくなに隠し通して

いました。

その理由は「松田は朝鮮人だから付き合うな」などと言われた学生時代の経験から

貧乏だった過去はファンから受け入れられても、生い立ちに関しては受け入れてもらえない

だろうという確信があったからだそうです。

生い立ちを知られたら周囲の人々は自分のもとから去っていってしまう!!

その強迫観念は役者としての活動だけでなく、私生活でも松田優作さんの

心を縛っていたようです。

松田美智子さんと同棲生活を始めたのですが、松田美智子さんの著書から、

その時に告げられた衝撃的な一言を紹介しているものがあります。

それはこう書かれています。

「太陽にほえろ!」に出演するようになったと時松田優作さんは美智子さんに

「どうしても、帰化したい。協力してくれ」と頼み込んできたそうです。

それまでも帰化申請を行ったことはあった様ですが、母親が風俗関係の仕事をしていた事

などが問題で受け付けてもらった事はなかったのです。

しかし、美智子さんの家の養子となる道を選べば、日本国籍を取得できる

かもしれないと松田優作さんは考えたそうです。

俳優として活動し続けるためには、在日韓国人であると言う生い立ちを捨てることが

その時代どうしても必要でした。

帰化申請に際しては大変厳しく時間もかかります。

その中でも松田優作さんが最も力を入れて書いた「帰化動機書」を読めば、

その当時の差別意識の強さそして、その差別に松田優作さんがどれだけ追いつめられて

いたかがよく分かる程だそうです。

〈僕は今年の七月から日本テレビの『太陽にほえろ!』という人気番組にレギュラー

で出演しています。

視聴者は子供から大人までと幅広く、家族で楽しめる番組です。

僕を応援してくれる人たちも沢山できました。

現在は、松田優作という通称名を使っているので、番組の関係者にも知られていませんが、

もし、僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが、失望すると思います。

特に子供たちは夢を裏切られた気持ちになるでしょう〉。

『永遠の挑発 松田優作との21年』より。

上記は松田優作さんが書かれたものです。

子供の頃からの苦労がわかりますね。

現在でも松田優作さんのカリスマ性は語り継がれています。

ご冥福をお祈りします。

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